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通史

前史

 京阪間の鉄道路線は,明治9年7月の大阪~向日町間に開業した官営鉄道に始まり,明治10年2月には京都までの路線が開通する.そして明治43年4月,淀川東岸の京街道に並行して京阪電気鉄道(以下:京阪)が天満橋~五条間(京阪本線)に開業します.
 その対岸の淀川西岸にも,民営の鉄道を敷設しようとする計画が幾度となく持ち上がり,敷設の申請が相次ぐ.しかしこの当時,既設路線と並行する申請は,既設線への影響を鑑みて認められませんでした.ところが,次第に並行する申請も許可が下りるようになり,京阪はその対応に迫られます.
 京阪本線は京街道沿いの集落を結んで敷設した結果,曲線の多い線形となり,かつ軌道条例に基づく路線のため道路との併用区間も多く存在していた.逐次,線路改良を進めてはいたものの速度の向上には限界があり,そのような状況の中,淀川の西岸に並行する競合路線が出現することは,自社路線への影響を直接被ることになる.そこで京阪は自らの手で淀川西岸への路線敷設に動き出します.

京阪間路線図 明治時代

淀川西岸支線の敷設申請

 京阪は,大正7年4月に京阪本線の野江(旧線)から分岐し,淀川を越えて西岸を北上し,大山崎付近から京阪本線の淀に至る支線(淀川西岸支線)の敷設申請を提出.大正7年12月には,この申請支線の大山崎から分岐して京都の四条大宮へ至る淀川西岸支線延長線の申請も提出した.京阪間を結ぶ路線を計画していながら申請を分けたのは,院線(後の省線)と並行する申請路線と判断されて却下されることを回避するためだったという.区間を分けて許可を受け,後に直通する一線とする方針であった.
 他社との競願の末,大正8年7月21日,この両申請に対して許可が下りることになった.この背景には,京阪が淀川西岸域に電力供給を行っていたことが一因とされる
しかし,その許可には付帯条件として
・京阪本線の天満橋~野江間に更に線路を増設する
・既設路線に対いて打撃を与えない範囲にて起点を他に設ける
のいずれかを講じることが明記されていた.
 なお,大正8年9月には許可された路線中,大山崎~淀間の削除申請がなされる.これによって許可された路線は京阪本線の野江より淀川西岸を経て京都の四条大宮へ至る路線となる.

淀川西岸線敷設ルート明示

大阪側起点の模索

大阪市内乗り入れ 京阪は,前記の付帯条件に対して,新たな大阪側起点を設けることで対処する方針をとる.
 大正9年に入り京阪は鉄道院との協議の中で,城東線(現:大阪環状線の東側)の京橋から大阪間を高架改築する計画がある事を知る.この地上線の跡地を利用すれば,梅田付近へ乗り入れが容易に可能となり,前記付帯条件を満たすことも出来る.そこで大正9年2月,鉄道省に線路跡地の払い下げを申請し,同年5月にその認可が得られた.この許可を受けて直ちに淀川西岸線の起点を梅田とする変更申請を行う.
 ところが,線路跡地払い下げの決定が,大阪市に相談なく進められたことが大きな問題となる.大阪市会は自治権の侵害だとして払い下げ中止を求めた.最終的には払い下げ区間の工事に取り掛かる前に,大阪市の承認を受けることを条件に,起点変更の申請は大正10年10月に許可に至っている.

淀川西岸線の高規格化と別会社設立

 京阪では京阪本線建設での経験を元に,建設する淀川西岸線を将来の高速・大量輸送を想定した路線とすべく,大正10年11月に敷設権利の準拠法律を軌道法から地方鉄道法に変更する申請を提出.大正11年4月に許可される.
 続いて,路線建設には多額の資金を要するため,別会社を設立しての建設を進める方針とし大正11年6月28日,新京阪鉄道株式会社(以下:新京阪)を創立した.

新京阪への権利譲渡後の地図 京阪は新規に設立した新京阪に敷設権利を譲渡することとなるが,城東線跡地の払い下げ区間は鉄道省との契約上,第3者への権利譲渡が禁じられていた為,梅田~城北村(現:JR城北公園通駅付近)の区間は京阪が権利を保持したままとし,城北村~四条大宮間の敷設権利を新京阪に譲渡することになった.敷設権利の譲渡申請は大正11年10月9日に許可され,大正11年12月末の新京阪の会社登記が完了を経て,大正12年1月13日に権利譲渡が行われている.

別起点の模索と北大阪電鉄

 鉄道省は城東線跡地払い下げの件にて大阪市と紛糾した一面からか,ただちに高架工事を実施する様子がなくなった.京阪にとっては城東線高架工事が完成しないことには,梅田への工事に取り掛かることが出来ない.そこで新たに淀川西岸線の大阪起点を模索する必要に迫られる.
 この解決策として,十三~千里山間で鉄道営業を行っていた北大阪電気鉄道(以下:北大阪電鉄)を利用する案が浮上する.同社は淡路~天神橋筋六丁目付近へ至る敷設免許を有しており,途中に存在する淀川への架橋費用がまかなえずに線路建設を保留している状態であった.
 京阪・新京阪は,この北大阪電鉄を利用することで新たな大阪起点の解決を図る算段とした.すなわち,京阪の手によって北大阪電鉄の株式を買収して実権を掌握したのち,鉄道事業を新京阪に譲渡する計画である.
 北大阪電鉄の株式取得には五島慶太,前野芳造の斡旋もあり発行株式の過半数を取得することに成功する.大正11年8月,北大阪電鉄の第10回臨時株主総会にて京阪陣営の取締役・監査役が就任の決議をとり,大正12年1月15日に鉄道事業一式を新京阪に譲渡する仮契約書を締結し(2月1日本契約).大正12年4月1日,新京阪は北大阪電鉄が営業していた十三~千里山間の路線を譲り受け鉄道営業開始する.
ここから京都への至る高速鉄道の建設に邁進していくこととなる.

新京阪鉄道 営業路線図(大正12年4月)

淀川西岸線と譲渡路線との接続

淀川西岸線と譲渡路線との接続 北大阪電鉄は自社線の吹田付近から淀川西岸線へと接続する敷設申請を大正9年12月に行っていた.この申請は新京阪に北大阪電鉄の鉄道事業が譲渡された時点でも,鉄道省において決裁に至っていなかったため,申請内容として新京阪に引き継がれていた.
 新京阪はこの申請を既設営業路線(十三~千里山間)と淀川西岸線とを接続させる路線として活用する.大正12年6月に敷設免許を獲得しその後,数回の変更が行われ後に,大阪府東淀川区国次町~同市同区北大道町をつなぐ路線とする.これが後に淡路~上新庄間をつなぐ路線となり,同区間が稀に新庄支線と称する場合があるのは,根本の敷設権利が京都本線とは異なる手順で獲得したからである.

大阪側起点の建設

 京阪から淀川西岸線の敷設権利と,北大阪電鉄の鉄道事業の譲渡を受けて営業を開始した新京阪は,まず大阪側起点の足掛かりとなる淡路~天神橋筋六丁目間の路線敷設に取り掛かる.同区間は北大阪電鉄が既に着工していたが,原設計を適当な形に設計変更を行っている.淀川橋梁~天神橋起点間はコンクリート高架橋となり,起点となる天神橋(現:天神橋筋六丁目)駅は7階建ての駅ビルの2階部分に駅を設ける設計となり,大正14年10月15日に開通に至っている.

天神橋駅絵はがき

京都本線の建設

 淡路から京都方面への建設工事は,大正15年7月までに工事施行に関係する認可を得て,大阪方より順次工事を開始.建設方針は当初の構想を引き継ぎ,直線を基調とした線路設計で最小曲線半径は20鎖(約400m),最急勾配10‰の高規格路線とした.
 建設の過程では通過自治体との協議の結果,ルートの変更なども行われている.特に京都市内の四条大宮終点は地上駅での計画であったが,途中に存在する寺院や建物撤去などの費用がかさみ再検討を余儀なくされていた.そんな折,京都市より市が計画している四条大宮から西院までの道路拡築工事の費用(約300万円)を新京阪側で負担するのであれば,四条大宮よりさらに東の四条河原町まで,地下線で乗り入れを承諾するとの意向が示された.この提案に新京阪は同意し,京都市内乗入は西院から地下線となり,工事関係の変更申請を行っている.
 また大正15年12月25日,大正天皇の崩御により元号が昭和に改められる

高槻町開業

高槻町開業 京都本線は第一期線として,京阪間の中間に位置する高槻までの路線を完成させる.当初は昭和2年12月中の開業を目指していたものの,鉄道省の竣工検査にて不備が確認され,年を越して再検査を行い昭和3年1月16日に淡路~高槻町間が開業した.この開通に合わせて新京阪の代名詞である車両P-6が登場する.
 時を同じくして同年11月に,京都で昭和の即位の礼が執り行われることが決定する.新京阪はそれに京都本線の開通を間に合わせるべく残区間の建設工事を急ぐこととなる.しかし,京都市内地下線の工事は道路拡築との関連により遅れが生じ,11月までに完成できる見込みがなく,やむを得ずひとつ手前の西院までの路線を完成させ,西院の地上に仮駅を設ける方針とした.

新京阪鉄道 営業路線図(昭和3年1月)

京都西院開通

 昭和3年11月1日,高槻町~京都西院間の路線が開業,淀川西岸を結ぶ鉄道路線が開通した.完成間もない京都本線は,路盤の固まっていないため運行速度が制限され,開業時の天神橋~京都西院間の所要時間は,京阪間無停車の急行が48分,普通が56分を要している.終点の京都西院駅は仮駅ではあったが11月5日には西ノ京円町~西大路四条間に京都市電が開業した.市中心部へは京都市電,市営乗合自動車,嵐山電車に接続する事でアクセスをはかった.
 この開通に合わせて発行された沿線案内「新京阪ニュース新線開通号」には次のように記されている.


新京阪ニュース新線開通号本年一月京都本線の一部天神橋高槻町間を開通致しましてより孜々営々着々工事を進めまして愈十一月一日を以て高槻町京都西院間(二十一粁二分)開通し,此處に大阪京都間を全通し京阪間最近道となりました.従来京阪間は汽車又は京阪電車の便に依り一時間乃至八十分を要せしが,今度開通した當社京都本線に依れば僅か五十分内外にして時間的に非常に短縮となります.
(…省略…)
斯くの如くして京都方面への連絡を全うすることが出来た,新京阪は安心して大大阪市民,京阪神沿線一千萬の人達の爲に光栄ある御大典輸送を決行し得る事となつた,新京阪を利用すれば,天神橋…西院間急行四十八分 神戸…西院間一時間二十五分(十三乗換)市電十五分として,大阪より京都御所迄一時間五分神戸より一時間四十分にして達する事ができる,京阪神間交通の隔期的革命として沿線大衆の福祉は誠に絶大なりと云はねばならぬ.


京都側のターミナルは暫定的な仮駅となったが,その先の四条大宮への延伸工事は続けられている.

嵐山線の建設

嵐山への路線は新京阪創立初期からその構想があったようで,創立間もない大正12年1月に桂から嵐山へ至る敷設申請を行っている.しかし,嵐山を起終点とする鉄道の敷設申請は複数あり,各社との競願状態となる.そして大正13年5月,京都電灯の嵐山から向日町を経て海印寺へ至る敷設権利が認可されることとなり,新京阪の申請は事実上却下となった.
 しかし,嵐山進出を諦めきれなかったのか,新京阪は大正14年4月に再び嵐山への敷設申請を提出する.
 その後,紆余曲折あったのち新京阪が京都電灯に対して,関係経費を支払うことで敷設権利の譲渡を受けることとなり,昭和2年2月に仮契約書を締結.こうして新京阪は嵐山を手中に収めることに成功した.
 新京阪は譲渡を受けたこの敷設権利を北と南に分断し,北側を桂で南側を長岡天神付近で京都本線と接続する形に変更.この前者が桂~嵐山間(嵐山線)に,後者が東長岡~海印寺間(未開業線)になる.
 嵐山線の工事は,昭和3年5月22日に工事認可が下り,同月25日に直ちに着工.終点の嵐山駅は,当初予定していた駅位置が史跡名勝天然記念物の範囲に該当したため,駅位置を桂寄り後退させるなどの変更を経て,昭和3年11月9日に開通の日を迎える.
 なお敷設免許として残された,東長岡~海印寺間の敷設は,具体的な工事の進捗を見ないまま,昭和4年10月に起業廃止申請がなされている.

新京阪鉄道 営業路線図(昭和3年11月)

所要時間短縮と超特急の新設

所要時間短縮と超特急の新設 昭和4年2月14日,京都本線の路盤が固まったことから,ダイヤ改正を実施.急行の停車駅に淡路を追加し,天神橋~京都西院間の所要時間を38分に短縮している.
 さらに昭和5年4月21日には天神橋~京都西院間を34分で結ぶ超特急を設定.これは同年3月末に省線が京都~姫路間に快速度列車を設定されたことへの対抗でもあったとみられる.

会社合併と京都市内地下線の開業

会社合併と京都市内地下線の開業 所要時間の短縮と新種別の設定とは裏腹に,会社経営は新規借り入れの目処がたたず単独経営に行き詰まりが見えていた.当初は京都本線の路線完成後の期を熟した時期に合併を行う予定であったが,京阪本体の経営も芳しい状況ではなく合併を早めることとした.昭和5年5月24日に新京阪と親会社の京阪との間で合併に関する仮契約書の締結が行われた.
 そして昭和5年9月15日,新京阪と京阪の合併を実施.“新京阪”の社名は創業から僅か8年,京阪間を結ぶ鉄道としては2年を経たずして消滅した.
 その後,新京阪が取りかかっていた西院~四条大宮間の京都市内地下線工事は京阪の手によって継続し昭和6年3月31日に開業に至っている

新京阪鉄道 営業路線図(昭和6年3月末)

 その後,京阪の“新京阪線”となった元新京阪の路線は,昭和18年10月,戦時中の国策により阪神急行電鉄(現:阪急電鉄)と合併し,発足した京阪神急行電鉄の新京阪線となる.そして終戦を挟み昭和24年12月,現在の京阪電気鉄道の分離に際し,元新京阪であった路線は京阪神急行電鉄(現:阪急電鉄)に残留する形で同社京都線となり現在に至る.

参考文献:鉄道省文書,京阪百年のあゆみ,日本鉄道150年史年表[国鉄・JR],大阪朝日新聞,京都市営電気事業沿革誌

年表

年月日 内容 備考
大正7年4月16日 京阪:敷設申請(淀川西岸支線) 許可:大正8年7月21日
大正7年12月27日 京阪:敷設申請(淀川西岸支線延長線) 許可:大正8年7月21日
大正9年2月21日 京阪:鉄道省へ城東線払下げ申請 許可:大正9年5月20日
大正9年5月24日 京阪:淀川西岸支線の起点を梅田(大阪市北区本庄葉村町)に変更申請 許可:大正10年10月26日
大正10年11月14日 京阪:淀川西岸線の準拠法律を軌道法から地方鉄道法に変更申請 許可:大正11年4月24日
大正11年6月28日 新京阪鉄道株式会社創立  
大正11年7月31日 京阪:淀川西岸線(城北村赤川−四条大宮間)の敷設権利を新京阪鉄道へ譲渡申請 許可:大正11年10月9日
大正11年12月30日 新京阪鉄道会社登記完了  
大正12年1月15日 北大阪電気鉄道:鉄道事業に関する権利を新京阪鉄道へ譲渡する仮契約書締結 契約書:大正12年2月1日
大正12年2月3日 北大阪電気鉄道:鉄道事業に関する権利を新京阪鉄道へ譲渡譲渡許可申請 許可:大正12年3月2日
大正12年4月1日 北大阪電気鉄道の鉄道事業を引き継ぎ運輸営業を開始  
大正14年10月15日 淡路~天神橋間開業  
大正14年12月15日 新京阪鉄道:本社を北区天神橋筋六丁目五番地に移転  
昭和2年6月13日 京都電灯の敷設権利を新京阪鉄道へ敷設権利譲渡仮契約  
昭和2年8月17日 京都電灯の敷設権利を新京阪鉄道へ譲渡申請 許可:昭和2年10月13日
昭和3年1月16日 淡路~高槻町間開業  
昭和3年11月1日 高槻町~京都西院間開業  
昭和3年11月9日 桂~嵐山間開業  
昭和4年2月14日 急行(天神橋~京都西院間)の所要時間を38分に短縮  
昭和5年4月21日 超特急(特急)運転開始  
昭和5年5月24日 京阪・新京阪合併仮契約  
昭和5年6月17日 京阪電気鉄道臨時株主総会,新京阪鉄道定時株主総会  
昭和5年6月26日 合併認可申請 許可:昭和5年9月9日
昭和5年9月15日 合併実施  
昭和6年3月31日 西院~京阪京都間開業  
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